1..

私が帰宅の途についたのは、夜も更けた深夜−−といってもまだ日は変わっていなかったが−−だった。

その日は、例年より早い台風が関東に上陸した日であり、あまりに激しい風雨のために関東一円の電車は全線運行を見合わせていた。
私はその一週間で溜めてしまった書類整理に追われており、どちらにせよホームで待ちぼうけをくうようなことにはならなかったのだが。

溜まった書類も残すところあと数枚。自宅に持ち帰ってもいいだろう。
時計の針が終電の時間に近づくのを見計らって、会社を出ることにした。

ビルの守衛によれば、22時を越えた頃から風雨は収まり、各線は徐々に運行を再開しているという。
この分だと、終電とはいえ混んでいそうだな・・。雨の日の混雑は相当煩わしい。

自分の表情が曇ったのを見て取ったのだろう。守衛が言った。
「なに、待ちぼうけをくらってるよかマシさ」

確かに、風雨は普通の小雨と変わらないようだ。
ただ、道路に散乱したゴミなどを見ると、台風の爪あとが激しかったことが分かる。
ところどころ、深い水溜りに気をつけながら駅へと向かった。

投稿者 yamatech : 03:31 | コメント (0)

2..

突然、スーツの内ポケットが僅かに震えた。
携帯電話を取り出すと、1通のメールを受信していた。親友のHからだった。
こんな時間に…と思いつつ、内容を確認する。
「311444441115522222999993」
なんだこれは。なんのイタズラだろうか。
とりあえず『内容がわからない、酔っているのか?』とメールを返したが、結局その日は返事はこなかった。

投稿者 yamatech : 04:59 | コメント (0)

3..

翌朝、自宅の電話が鳴った。
受話器をとると相手は警察を名乗り、Hが増水した川に転落して溺死したと伝えてきた。
昨日の台風の影響で増水した川の、下流の橋げたに材木等といっしょに浮かんでいるのを通行人が発見したらしい。
回収したHの遺体から大量のアルコール成分を検出されたため、警察は事故と自殺のどちらかとみているようだ。
するとやはり、あのメールを打ったときには随分酔っていたのだろう。
Hの酒豪ぶりは友人知人の間では有名な話だ。

「亡くなったHさんに最近なにか変わったことは?」
「いえ、特には何も・・つい先日も会いましたが、なにもありませんでした」
「そうですか・・わかりました。では、何か思い出したり気がついたことがあれば、ご連絡いただけますか?」
「わかりました。なにかあれば・・・」

と、そこまで言って、ふと昨夜のメールの事を思い出した。

「そういえば、昨日の夜にHから変なメールが来てましたね」
「え?そうですか。何時ごろですか?・・はい。23時過ぎくらいですね。差し支えなければ、そのメールの内容が知りたいのですが」
「えぇ、いいですよ。多分酔って出したメールで、意味もさっぱり不明ですし」

投稿者 yamatech : 06:38 | コメント (0)

4..

私は二つ折りの携帯電話を開いてメールを呼び出そうとした。
と、そのとき、あることに気が付いてしまった。
もしやと思い、近くにあったメモ帳にペンを走らせて確認する。
間違いない。

その発見を伝えると、警官の声色が変わった。
その後警官は、二言三言話すと興奮した様子で
「それじゃ、またなにかお気づきの点があれば私に連絡を」
そういって自身の連絡先を私に告げると電話を切った。

その数日後、Hの死が他殺であったこと。犯人が捕まったことをテレビのニュースで知った。
どうやら、私が伝えたコトは決定的な証拠ではないものの、解決の糸口になったようだ。
それにしても・・なぜHはあんなメールを・・。

投稿者 yamatech : 16:41 | コメント (0)

5..

Hを殺害した犯人が捕まった。そのニュースがテレビでとりあげられ、また全国紙の片隅に載った数日後、私の自宅に警官がやってきた。
彼はまず、私が告げた内容に対する謝辞を述べた。つまりその警官は私に電話をかけた本人である。
彼は私に事件の顛末を語った。それはおよそ次の内容だった。

あの日、上陸した台風のために交通機関が麻痺していた。
Hも他の人々と同様に帰るに帰れなくなった。そこでHは駅から徒歩10分程度のとあるパブに向かった。
そのパブはHが一時期常連として通っていたが、贔屓の女の子が辞めてからは疎遠になっていたという。

店は繁華街からすこし離れた場所にあり、さらにカフェの2階でもあったため、人目に付きにくい。
それでも一昔前は店の女の子に人気があったため、そこそこ流行っていたが、今はそれほど賑わってはいなかった。

投稿者 yamatech : 20:43 | コメント (0)

6..

Hが店に入ると、マスターである斉藤達仁と妻であり店のママである由紀子が出迎えた。他の女の子は台風のせいで来ていなかった。
店内の客はH一人であったため、結局のところマスターとママと三人で昔の話に花を咲かせながら飲んでいたという。

マスターもママも、Hの酒豪ぶりは知っていたので、これは稼ぎ時と見て次々と酒を勧めた。
そのためか、台風が通り過ぎて風雨が収まってきた頃にはさすがのHも相当に酔っていた。

ママがHに、雨が止んだので帰るかと訊ねたところ、Hはこう答えたという。
「えぇ?あぁ。雨止んだって?・・ははは。まぁ、まってくれよ。こう酔っていたんじゃぁ、そこのM橋でおっこっちまうわ。もうちょっと覚めるまでまってくれよ」
そういって、Hはコーヒーを頼んだ。

マスターもママも、この時まではまさかHを殺そうとは思いもよらなかったという。
この時、Hの言った言葉を聴き、マスターはある恐ろしい計画を思いついた。

投稿者 yamatech : 23:21 | コメント (0)

7..

Hの年齢は30代後半で独身。仕事に熱心な反面、特別な女性もいないために、同世代からみてもやや裕福な層にあたる。
かくいう私もつい先日Hにごちそうになったくらいであり、その羽振りのよさは友人連中のなかでも話題になっていたほどだ。

Hが用途別に数枚のクレジットカードを使い分けていることをマスターは知っていた。
そこで、泥酔したHに対して伝票をでっち上げることを思いつき、実行した。
その額は3枚のカードで合計700万円に及ぶ。
伝票を数枚に分けて、Hにサインをさせる。泥酔しているHを騙すことはそれほど難しくはなかったという。

その後、なんのかんのと酒を勧められ、更に呑まされたHは完全に寝てしまう。

マスターはそのままHを後ろ手に縛り、車のトランクに押し込んだ。
トランクを閉めようとしたとき、突然Hが目を覚ました。
Hは周囲の状況が只ならぬ状況であることがわかると、叫ぼうと口を開こうとする。
慌てたマスターは急いで猿ぐつわを咬ませ、そのままトランクを閉めた。

投稿者 yamatech : 14:49 | コメント (0)

8..

マスターはそのまま車を走らせる。
そのとき、トランクの中で揺られながらHはもがいた。これは後にマスターのトランク内に引っかき傷やへこみ傷があることでも、相当激しかったと思われる。
この前後でHは縛られた手でたまたまズボンの尻ポケットに入れていた携帯電話を取り出し、メールを打ったにちがいない。

「311444441115522222999993」

Hは後ろ手に縛られていた。
その自由にならない手を動かしたとき、たまたま尻ポケットの携帯電話に触れた。
おそらく、助けを呼ぼうと思いついただろう。しかし電話は会話をするには頭から離れている。
となるとメールしか取るべき選択はない。

携帯電話を取り出し、開く。
当然手元は見えないわけだから操作は記憶だけが頼りとなる。
アドレスを打つような余裕もない。おそらく最後に受信したメールに対して返信をする。
その最後に受信したメールが私からのメールであったことに気が付いていたかは定かではない。

そうしてメール作成画面を開く。
そのまま漢字変換などをしないままひらがなのみで打ち続けたはずだった。

記憶を頼りに操作していたHはうっかり文字入力を、ひらがなから数字入力に切り替えてしまっていたのだ。
携帯電話ではそれぞれの数字を複数回押すことによって、ひらがなを入力していく。
つまり、ひらがなに変換されなければただの数字が並ぶことになる。

あの数列は入力べきひらがなの順番だったのだ。

投稿者 yamatech : 14:51 | コメント (0)

9..

警官からの電話のとき、私は自分の携帯電話を開いてHのメールを説明しようとした。
このとき、携帯電話のボタンに記された文字を見て、はっと気が付いた。
即座に数字をメモに書きとめ、携帯電話の入力をひらがな入力にして数字の通りにボタンを押す。
すると表示されたのは次の一文だった。

「さいとうにころさ」

おそらく『斉藤に殺される』と打ちたかったのだろう。
なんということだ。あのメールは助けを求めるメールだったのだ。
あのメールを受信したとき、Hはまだ生きていたのだ。
泥酔し混濁した意識の中で、死にたくないという一心でメールを打ったのだ。

私の脳裏には、縛られ、酔った手元で必死でメールを入力するHの姿がありありと浮かぶ。
酔ってなお車に揺られ、嘔吐しながら、間違ったと思えば、最初からからまた入力しなおしたであろう。
やがて、入力の途中で意識が朦朧としてきた為か、それとも車が止まったためかの理由で、入力しかけのままで送信したのではあるまいか。

トランクを開けた斉藤は気絶したHを抱え上げ、縄を解く。
その眼下には、台風によって水かさを増した川が、周囲の全てを飲み込まんと狂ったように牙を剥いてる。
あっという間に飲み込まれ、押し流されたHを後に斉藤は再び車に乗って立ち去った。
悲鳴も何も聞こえなかったという。

これが、事件の顛末であった。

投稿者 yamatech : 14:53 | コメント (0)

10..

あのメールを受け取ってから、ちょうど1年になる。

私はあれから、メールが着信するたびにあの数列を、トランクの中のHを思い出す。
もちろん、あのような数列はもう二度と来ない。
しかし、思い出す度に私は、心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われる。
あの時、即座に気が付いたなら。
あの時、警察に連絡していれば。
あの時、電話をしていたなら。

いや、現実的にはどうも出来たはずはない。
斉藤という苗字の知り合いは何人もいる。
メールを受け取った数分後にはHは川の中だ。
増水した川では、そこに居ると判っていても捜索などできたはずもない。

あの事件の直後から、私は幾度となく罪悪感に駆られ、その度に自分に非はないと自身に言い聞かせてきた。
そして、時間とともにその感覚にも慣れてきた。

それでも、時折空を見上げては思う。

Hは私を許してくれるのだろうか。

と。

投稿者 yamatech : 14:55 | コメント (0)